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2011年1月 6日 (木)

RING「バイロイト」から「バレンシア」へ

「RING(オペラ「ニーベルングの指輪」)」と言えばバイロイト。

だが、それは過去の話?

Ring_4 バレンシア州立歌劇場で上演されたリング全3部作、いわゆる「バレンシア・リング」のDVDを観て、「21世紀、RINGの舞台は完全にバレンシアへ移った」と認識を新たにした。

その斬新さ、芸術性の高さ、素晴らしさに衝撃を受けたからだ。

『オペラDVDスペシャルコレクション 「 ニーベルングの指環 」リヒャルト・ヴァーグナー』 
出版社: 世界文化社   価格:¥ 19,950 

DVDの冒頭は、まずバレンシア州立歌劇場(ソフィア王妃芸術館)の紹介から始まる。

Cityarts_4流線形のフォルムを持つ近未来的な建造物が水の上に浮いている。

まるでSF映画に出てくる宇宙ステーションのようだ。


その内部は客席が4層にも及ぶ劇場空間。

オーケストラピットは、世界2番目の広さを誇るという。

Photo


目を見張るのは壮大な建物だけではない。

このオペラハウスの立ち上げに、
thunder世界の巨匠ロリン・マゼール、
thunder絶大な人気を誇る指揮者ズービン・メータ、
thunder世界的に著名なテノール歌手プラシド・ドミンゴといったビッグネームが尽力したという。

ロリンマゼールは、3年契約で初代音楽監督に就任。
バレンシア州立管弦楽団の楽団員は、オーディションにより世界中から一流のメンバーが集められ結成している。
そのメンバーを選んだのはほかでもないロリン・マゼール自身だ。

21世紀に、バレンシアというスペインの一都市が、これほどまでに経済的なパワーを持っていることを知り、驚いた。
そして世界的に経済優先の流れの中で、芸術にスポットを当て、ハード、ソフト両面で一流のオペラ・ハウスを出現させるとは!
恐るべしバレンシア!!

さて、「バレンシア・リング」の話に戻ろう。
指揮はズービン・メータ、
オーケストラはバレンシア州立管弦楽団、
そして演出がスペインの異才演劇集団「ラ・フラ・デルス・バウス」のカルルス・パドリッサ(バルセロナ・オリンピックの開会式の演出で世界的に有名になった)。

実は、25年位前だったと思うが、横浜の倉庫で「ラ・フラ・デルス・バウス」のダンス・パフォーマンスを観たことがある。
天井から綱を渡って登場したり、水を撒いたり…と、当時も相当衝撃を受けたと記憶している。

演奏の素晴らしさはもちろんだが、
カルルス・パドリッサによる最新テクノロジーを駆使した演出と、人間の肉体を駆使した演出が融合する舞台は、刺激的かつ異色、まるっきり新しいRINGの世界を見せてくれた。

舞台いっぱいに広がった巨大スクリーンに投影したダイナミックなCG映像。
レーザー光線が飛び交う舞台。
SF的な衣装、メカニカルな装置。
神々はクレーンに、巨人はロボットに乗り、舞台を自在に、巨大に動き回る。
一方、人間の肉体を天高くつなぎ合わせて城を表現するなど、肉体が舞台装置や大道具にも化していく様は度肝を抜かれる。
肉体を “無制限な表現媒体”として駆使する演出だ!
とにかくスゴイの一言に尽きる!!

全部で約14時間に及ぶが、めくるめく展開に終始引き込まれる。
オペラ好きでなくても、舞台に興味がある人なら、絶対楽しめる作品だ。

RING(の舞台、「バイロイト」から「バレンシア」へ。
イチ押しである!

2010年12月21日 (火)

REQUIEM GIAPPONESE 六本木男声合唱団倶楽部 イタリア公演

私が団長を務める「六本木男声合唱団倶楽部」のイタリア公演について、
遅ればせながら報告します。

11月25日(木)はミラノ大聖堂、Duomoにて
「レクイエム~曾野綾子のリブレットによる」(三枝成彰作曲  曾野綾子作詞)を、

11月26日(金)はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のミサで
「三枝成彰のミサ曲 曽野綾子のリブレット」(三枝成彰作曲  曾野綾子作詞)を
演奏いたしました。

いずれ も、指揮/大友直人、ソプラノ/中丸三千繪、テノール/樋口達哉、
合唱/六本木男声合唱団倶楽部の出演。

ミラノの街中でコンサートを告知するポスターを発見!
記念にパチリッ。

20101121

イタリア在住のReikoMilanoItalia さんが、You Tubeとブログで
ミラノ大聖堂でのコンサートの映像を紹介してくれています。

ぜひ、ご覧ください!

http://www.youtube.com/watch?v=r6eIMD1uvN8

http://wahei.blog-niigata.net/a_tavola/2010/11/

2010年10月 6日 (水)

「同期の桜」

オペラ「特攻隊」の作曲準備が進んでいる。
2013年に世界初演を迎える運びだ。
太平洋戦争にまつわる膨大な資料を読み込む中で、やはり気にかかるのは音楽に関するエピソード。

今回は、軍歌にまつわるイチ押しのエピソードをご紹介しよう。

note貴様と俺とは同期の桜~」。

『同期の桜』は多くの日本人が知っている軍歌だ。
最近はどうか知らないが、戦後も宴会やコンパなどでよく歌われてきた。
たとえ聴いたことがなくても、このサビを一度聴けば耳に残る。

歌詞はこうだ。

1. 貴様と俺とは同期の桜、同じ兵学校の庭に咲く、
  咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ国のため

2. 貴様と俺とは同期の桜、同じ兵学校の庭に咲く、
  血肉分けたる仲ではないが、何故か気がおうて別れられぬ

3. 貴様と俺とは同期の桜、別れ別れに散ろうとも、
  花の都の靖国神社、花の梢に咲いて逢おう 

これを「note君と僕とは二輪のさくら~」と歌ったらどうだろう?
実は、今日歌われている「同期の桜」は替え歌ある。
原歌詞は西条八十の作詞『二輪の櫻』である。

1. 君と僕とは二輪のさくら、積んだ土嚢の陰に咲く、
  どうせ花なら散らなきゃならぬ、見事散りましょ、皇国(くに)のため。

2. 君と僕とは二輪のさくら、おなじ部隊の枝に咲く、
  もとは兄でも弟(おとと)でもないが、なぜか気が合うて忘られぬ。

3. 君と僕とは二輪のさくら、共に皇国(みくに)のために咲く、
  昼は並んで、夜は抱き合うて、弾丸(たま)の衾(ふすま)で結ぶ夢。

4. 君と僕とは二輪のさくら、別れ別れに散らうとも、
  花の都の靖国神社、春の梢で咲いて会ふ。

この西条八十の詞を、後に回天の第一期搭乗員となる帖佐裕海軍大尉が海軍兵学校在学中に、替え歌にして歌ったところ特攻隊員が好んで歌い、その後多くの人に好んで歌われるようになったという。

この曲が名曲たる所以は、ベースに優れた西条八十の歌詞、軍歌とは思えない哀愁を帯びた大村能章の曲があったからこそだ。
しかし、人々の共感を呼び、こんなにも長く愛される歌となって受け継がれてきたのは、明日の命を知る若者の、死んだ後にも変わらぬ友への思い。祖国の為に一つしかない命を散らす覚悟をした若者の純粋な願いが歌詞に込められたからこそだと思う。

2009年12月 3日 (木)

懐深きパリ

 10月に二週間ほど、フランスに行ってきた。私が団長をつとめる「六本木男声合唱団倶楽部」のフランス公演のためである。

 フランス公演といっても、プロではなくアマチュアの合唱団であるが、国内ではサントリーホールや東京カテドラルで自主公演を行っているほか、縁あって今までに何回か海外公演も行っている。ウィーン、ハワイ、キューバ、ブラジル、モナコ、ベルリンといったところだが、いずれも関係者の皆さんには多大なご協力をいただき、幸いに多くのお客様からご高評をいただいた。

 今回のフランスでは、パリのマドレーヌ寺院とボルドーの国立オペラ劇場での2公演を行い、なんとか成功のうちに終えることができた。

 さて、私は他のメンバーよりホールの視察や寺院の関係者との打ち合わせ、寺院のパイプオルガンの試聴などをしなければならなかったため、他のメンバーより3日ほど早くパリに入った。そのおかげで、空いた時間に久しぶりのパリの街をじっくりと見て回ることができた。

 私が行った中でとくにご紹介したいのは、パリとボルドーのレストランと、共同墓地についてだ。食と死とは両極端だが、これがじつに楽しめたのである。

Img_0558_r  まずはビストロ「コントワール(Le Comptoir)」。オデオン駅の真上にあるレストランで、広場にも面している。パリで日本料理店「櫂(かい)」を経営する友人・北田芳一さんの案内で連れていっていただいた。二年前にも来たことがあり、以前も人気店だったが、今ではさらに過熱しているようだ。ディナーの予約は3~4カ月待ちだという。こちらも夜はさすがに行かれないと思い、ランチに行くことにした。こちらは11:30から並べば食べられる。もしパリに行く機会があったら、ここのフォアグラ料理はぜひ食べていただきたい。今まで私がフランスで行った中でもっとも安くてうまかった。絶品である。ランチで味わっても充分、堪能できる。ただし、店のインテリアはあまり美しくなかったが。

 次は合唱団のメンバーである日本在住の生粋のパリジャン、ロッド・マイヤール君の紹Img_0593_r_2 介で行った「モン・ヴィエイル・アミ(Mon Vieil Ami)」。ここは比較的新しい店のようだが、昔ながらのフランス料理を出してくれる。安くてうまい。ぜひ行くことをおすすめする。パリの中心、セーヌ川に浮かぶサン・ルイ島にある。

Img_0708_r  ロッド君はそのあと、ぜひ三枝さんを連れて行きたかったという、シャンソン酒場に案内してくれた。ラマルクにある「オー・ラパン・アジール(Au Lapin Agile)」だ。日本で出版されているガイドブックにもたびたび登場する場所。モンマルトルの丘の中腹に忽然と広がる葡萄畑があるのだが、その前に建っている。ここは何と創業1860年という老舗。古びた店内にいると不思議な感覚に襲われる。学生時代によくあった歌声喫茶を思い出す。古きよきパリのキャバレーの雰囲気を感じることができる。

Img_0625_r  変わったところでは、ベルヴィルにあるヴェトナム料理店「フォー・ドン・フオン(Pho Dong-Huong、為平牛粉)」。その名のとおり、フォーなどのポピュラーなヴェトナム料理の店だが、とくにフォーは日本のヴェトナムレストランではまったく出会ったことのない、とても不思議なフォーであった。

 また日本人がやっている店では、おそらくパリに1軒しかない串揚げ屋の「修(Shu)」。鵜飼修さんがオーナーシェフで、場所はスジェール。ふと日本の味が恋しくなったときにいいのではないだろうか。同じ思いを抱く人がいるのか、私が行ったときにはたいそうなにぎわいであった。

Img_0730_r  そして今回、私がいちばん量を食べてしまったのが、いまが旬の生牡蠣。バスティーユにある魚介料理で有名な「ボファンジェ(Bofinger)」。とにかく牡蠣が新鮮でうまいのに感激して、驚くなかれ、50個も平らげてしまった。さすがにここを出てからは、しばらく牡蠣はいいやという気になったが……。

 そんな中で落ち着くのは、やはり北田さんが気持ちよくもてなしてくれるルーブルの「櫂」だ。もともとは東京の広尾で日本料理店をやっておられた方で、そこにもずいぶん通ったが、単身パリに渡って新しいお店を出されてからも、いいおつきあいを続けさせていただいている。ここではオーソドックスなものや新しいアレンジを加えたものなど、いろいろな料理が楽しめる。彼と話していると安心して、ふと外国にいることを忘れてしまう。

 ここまで紹介したのはいずれも比較的リーズナブルでなおかつうまい店ばかりだ。今回はせっかくだからというので、某三ツ星レストランの予約を取って行ったのだが、高いばかりでうまくなかった。おまけにお客の半分は日本人だった。

二年前、パリに行ったときにも、別の三ツ星レストランで食事をしたが、やはりうまいとは思えなかった。たまたま私の好みとこういったレストランの味が合わないのか、何かの加減でその日はうまくなかったのか、よくわからない。だが、いつもいい目を見たことがない。もちろんすべての店がそうだとは思わないが、高名な料理ランキングに入っているからといって、それがすなわち味に比例するとは限らないのかもしれない。そのことも再確認できた旅であった。

 ここで、ボルドーのおすすめの店も一つ紹介しておこう。「ラ・トゥピーナ(La Tupina)」は、フランスのシラク前大統領が、訪仏したイギリスのブレア前首相を招待したことで有名になった。ここで食べたヤツメウナギは忘れがたい味だった。

 さて、パリでは新たな楽しみを見つけてしまった。レストラン探訪とともにぜひ皆さんにおすすめしたいのが、著名人のお墓めぐりである。

 モンマルトル墓地には、私たちにもおなじみの文化の担い手たちが多く眠っている。そのいくつかを紹介しよう。

Img_0635_r_7  まず、デュマの小説『椿姫』、そしてヴェルディのオペラ『椿姫』のモデルと言われた高級娼婦、マリー・デュプレシの墓だ。1847年、わずか23年の短い生涯を病に散らした彼女の白いお墓には小さい肖像画が埋め込まれ、彼女を慕う人たちの備えた花が絶えることがないという。ちなみに、墓石には、本名のアルフォンシーヌ・プレシスと彫られている。マリー・デュプレシというのは社交界で映えるように貴族風の響きを持たせたいわば源氏名だったのである。

 茶色い豪壮な造りの墓は、『居酒屋』『女優ナナ』で知られる作家のエミImg_0644_r_3 ール・ゾラ。大きなアーチに囲まれた彼の胸像が、あたりに睨みをきかせているようだ。1902年死去。

Img_0650_r  黒い重厚な椅子のような作りの墓は、ロマン派音楽の雄、作曲家エクトール・ベルリオーズ。『幻想交響曲』などで知られ、生前は喜怒哀楽の激しさと数々の奇行で知られた彼だが、今はここに静かに眠る。1869年死去。

 墓石に『枯葉』のメロディーが書かれているのは、ジャン・ルノワール監督の映画の音楽Img_0659_r などで活躍した作曲家、ジョセフ・コズマの墓。ハンガリー生まれのユダヤ人である彼は、ナチス・ドイツの迫害を逃れてフランスに移り住み、生涯を暮らした。

そんな異邦人のコズマが、まだフランス語がうまく話せなかったころに書いた『枯葉』が、今やフランスのシャンソンを代表する名曲といわれるようになったのも興味深いことである。映画音楽の仕事には、ルノワール監督の『草の上の昼食』や、マルセル・カルネ監督の『天上桟敷の人々』、そして『枯葉』が主題歌となっている『夜の門』などがある。1969年死去。

 静かに瞑目する胸像がそびえるのは、ドイツ生まれの詩人、ハインリヒ・ハイネの墓。こImg_0680_r_2 の大詩人の墓にふさわしく、竪琴をモチーフにした墓はじつに美しい。また彼は非常に多くの音楽家にも愛され、シューベルトやシューマンなどは彼の詩に曲をつけている。1856年死去。

 淋しげな道化師のかっこうで座っているのは、ロシアが生んだ二十世紀を代表するバレエ・ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの墓だ。希代のプロデューサー、セルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団のスターとして活躍し、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』『春の祭典』、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』などの舞台に立ち、目の超えたフランスの観客たちの喝采を浴びた。その驚異的な身体能力と過激な振り付けで天才の名をほしいままにする一方、晩年は精神を病み、第二次大戦を命からがら乗り越えたものの、不遇のままに生涯を閉じた。1950年死去。
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 ……と、ちょっと歩いただけで、これほどの綺羅星のような芸術の先達に出会うことができて、過ぎし日のパリの文化に思いをはせ、いい時間を過ごせるのである。

 まだまだこれだけではない。墓地は広大だし、観光客の姿もちらほら見かける。現地に行けば詳しい案内があるから、それを頼りに半日ほどかけて歩いてみるのもいいだろう。それだけで芸術作品と呼べるような凝ったデザインの墓石も多いし、「この人もここに眠っていたのか」という発見もある。作家のスタンダールやゴンクール、画家のドガやユトリロ、映画監督のトリュフォーなどもここに眠っている。また、モンパルナスの墓地に行けば、哲学者のサルトルやボーヴォワール、作曲家のサン=サーンス、詩人のボードレール、作家のモーパッサンや俳優のセルジュ・ゲンズブールらのお墓がある。ちょうど今ごろの季節が、散策にはちょうどいいかもしれない。パリの墓地めぐりはおすすめである。私も次に行くときには、今回見られなかったエリアを歩いてみようと思っている。

 格式のある場所も多いが、食事も散歩も、お金をかけずに楽しめるところがたくさんある。そんな懐の深さを持つのがパリの街のよさであり、また行きたくなるゆえんなのである(写真はすべて、山本倫子さんの撮影によるものです)。

2009年7月12日 (日)

勇気をもらった「交響曲第一番」

広島ご出身の作曲家に、佐村河内守(さむらごうち・まもる)という人がいる。

 広島への原爆投下で被爆されたご両親のもと、1963年に生まれた彼は、幼いころにお母様から音楽の手ほどきを受けられたのを初めとして、作曲家を志すようになったという。

 しかし、成長するにしたがって、しばしば彼は原因不明の頭痛、耳鳴りや体調不良に見舞われる。そして、35歳になったころ、完全に聴覚を失ってしまわれた。

 そんな苦境にあっても、彼は音楽への情熱を失わず、幼いころからの鋭い感受性と天性のセンスをもとに、ほとばしる思いを胸に秘めて独学で勉強を続け、曲を書き続けた。

 私は知らなかったのだが、『鬼武者』というゲームの音楽などで、高い評価を受けてこられたようだ。

 そんな佐村河内さんが書き上げた「交響曲第一番」が、昨年、広島で行われたG8議長サミットを記念したコンサートで初演された。曲の構想は彼が17歳のころからあったという。およそ20年にわたって書き継がれた曲なのだ。

芥川作曲賞という作曲家のコンクールがある。今年、その選考員をおおせつかった私は、その候補作の一つだった「交響曲第一番」を選考委員会で聴いた。

それまで佐村河内さんのことをまったく存じ上げなかった私は、予備知識なしにこの作品を聴いたのだが、大きな衝撃を受けた。

まずは曲の素晴らしさに驚き、その後、彼のプロフィールを知ってさらに驚いた。

そして、ぜひこの作品を最終選考に残すように申し上げたのだが、そうなるには至らなかった。

曲のスタイルが新しいか古いかと言われれば、「交響曲第一番」は確かに古いスタイルにのっとって書かれた作品かもしれない。しかし、そんなことは作品の良し悪しとは関係のないことだ。

……と思うのだが、いわゆる“現代音楽”に携わっている人たちからすれば、確かによい曲だとわかってはいても、やはり評価は、よりコンセプチュアルで先鋭的な作品のほうへ傾いてしまうきらいがある。

しかし、選考に漏れたからといって、この作品の価値はいっこうに揺らぐものではない。それに私は、佐村河内さんが上述したようなバックボーンを持つ人だから「交響曲第一番」がよいと思ったわけではない。

純粋にいい曲だから惹かれたのである。それはこの曲を聴いたことのある人たちなら、わかっていただけるはずだ。

 初演のときはテレビなどでも取り上げられたようだし、その前年、彼は曲のタイトルどおりの『交響曲第一番』という自伝を出版されている(講談社刊)。これを読むと、彼のここまでの努力の積み重ねがよくわかる。

 この曲が次にいつ演奏されるかは知らないが、そのときにはぜひ駆けつけたいと思う。彼にはどこか、私がめざす音楽と共通するところを感じる。

「ロマンティシズムへの回帰」、そして「官能の海に溺れる音楽こそ、21世紀の新しき前衛」と提唱してきた私としては、彼のような人が同じ世界にいて下さることに、とても勇気づけられるのだ。

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